海底に灯す光

 

底を経験したものは、上から下へ徐々に落ちていく曲線を経験している。

 

そして、何か光を見つける瞬間も

 

直線を引くことのできない波のように、きっと海とは、感情であり誰しもの母であり父である

 

荒波に襲われて、息もできず海底に落ちて行ったとき、私はあるものを見た

 

チョウチンアンコウ

 

頭の上で光るライトは、まるで右を向いたとき愛おしい人が眠っているときのような、温かいものだった

 

暗いこの深海で灯すこいつは私を誘き寄せて食すつもりなのか

 

希望を見せて、どうせまた連れてくるんだろう

 

生誕の日を終えて、いくらか楽になった心はまるで仄暗い光をただ見つめているようだ

 

鬱真っ只中の私、気まずそうに下を向いてバースデーソングを歌う家族、久々に来た友人からの遊ぼうぜのラインを開くことすらできず、同じ誕生日の友人におめでとうも言えず、実感したことは

 

一度強く願ったことは取り消せないということ

 

私は一度、どん底の景色を見たいと強く願った、特別になりたいと。

 

退屈だった、というのもあるが、未知の領域が気になったのだろう

 

そもそもそう願うまでに至る原因があるだろう、それが私の脳みそのせいなのか、積み重なったストレスか、

 

自分を守らない選択を取ることは、ほぼ地獄へ下ることと同じ選択をしている

 

だったら天国だけを探したほうがいい

 

非生産的、非効率的、というよりは

 

あまりにも、犠牲的すぎるからだ

 

あなただけがそれを見てしまうのは、あなただけがカラスとして設定されているのは、あなただけが自分は狂っていると抱えるのは、凹ではなく凸を見てくれよと泣いている、誰もわかってくれないってそれでも諦められないあなたは、

 

あまりにも犠牲者だ

 

多数決で消される少数派のように

 

多数派の大体は意見を持っていないのだから、もしくは紛れてるだけかもしれない

 

多数派と同じように少数派が必要だ

 

全員が同じ意見になってしまったら、私たちはAIだ。それでも、それに導いていたとしても。

 

だから我々には価値があるとかそういうことを言いたいわけではなくて、

 

価値のない奴はいないということだ、価値は全人類同じ値だ

 

少数派だって集えばそこは普通で

 

普通になりたければ気狂いのブログや、好きな作家の本や曲、映画を見ればいい。

 

世間から見たら異端でも、私から見たら普通

 

人類全員が特別な存在であることと、人が特別とみなす存在がいること

 

私から見た普通特別と、誰かから見た普通特別と、世間から見たら普通特別と、政治から見た普通特別と、世界から見た普通特別と、さまざまな視点があるけれども、

 

自分は特別だと感じてしまう人が、苦しむ世の中だということ

 

私は普通だ、なぜならば上にも下にも人がいるから

 

そう思うことで普通の人は精神を保っている

 

一方特別な人は、私は異端だ、白痴で気狂いで、上にも下にもどこにも誰もいない。人とはどこかが違って欠けている。化け物のようだ。人の面を借りなくては、私の黒に近い血が滲み出て全てバレてしまいそうだ。

 

普通の人が普通の人と集っても、普通の人が特別な人と集っても、それは普通でしかない

 

特別な人は擬似的に普通になれるが、普通の人は...

 

大抵、特別になりたいと願う人は、他者にとっての特別を指しているのだろう。それはありふれた人間らしい温かい感情だ。大事にしたほうがいい。私もそうしている。

 

もし、自己にとっての特別だったら...

 

それは孤独と不幸を選ぶことであり、深海生活を送ることになるから、心底やめてもらいたい、といってもプログラムされた脳みそは言うことを聞いてくれないのだけどね

 

もうそうなってしまった私と君たちは、これからどこへいこうか

 

浅瀬にも、日の当たる綺麗なところにも行けない私たちは、

 

暗くて何も見えない深海に、街とか、作って

 

そこで仲間たちと暮らそう

 

出て行きたくなったら、出ていくんだよ

 

人の面被るのが上手な君たちは、どこへ行ってもうまくやるだろうからさ

 

本来の姿晒せなくて、吐きそうでも、

 

私だけは知ってるよ、大丈夫。わかってる

 

君がいなくても、きっと街灯を作ってここを照らし続けるから

 

一緒に苦しみ続けるよ

 

落ちたらまたここにおいで

 

これが残酷かな